「金属材料の量子化学と量子合金設計」


                    三共出版株式会社   
     著者:足立裕彦、森永正彦、那須三郎         


序文

 本書は、量子力学による電子状態の第一原理計算が、種々の材料の電子的な基礎的性質を理解するだけでなく、実際に用いられている複雑な実用材料を設計していく上でも、大変有効に利用できるということを、理解していただくために書いたものである。従来は有機化合物の電子状態計算に応用されてきた分子軌道法を、金属材料の問題に応用しその成果を紹介したもので、第一線の金属学や材料工学の研究者、技術者のみならず、特に将来の新しい材料科学をめざす大学院生や学部生はぜひ活用していただきたいと考えている。
 著者(足立)は本書で用いられているDV−Xα分子軌道法を開発して、この理論が金属や無機化合物など、あらゆる物質の研究に応用できること示してきた。そしてその有効性を以前に著書「量子材料化学入門ーDV−Xα法からのアプローチー」(三共出版、1991)(以後「量子材料化学入門」と略す)で述べた。本書は問題を金属材料に絞って詳しく述べたものである。DV−Xα法を開発して最初の仕事は、金属表面の化学吸着に関する計算であったが、当初より金属学への応用には特に興味が深かった。藤田英一先生(大阪大学名誉教授)の書かれた鋼のマルテンサイト中の炭素原子位置に関する解説書を読み、この問題が電子状態計算の応用の格好の対象であることと悟ったのが、実際の計算を実行するきっかけとなった。最初、金属中の炭素や水素など侵入型原子の電子状態を計算したが、すぐに那須らのメスバウアー分光の解析や森永らの合金設計への応用へとつながっていった。本書はこれらの仕事をまとめ、DV−Xαクラスター法を、金属材料をはじめとする材料研究の新しい研究手法として提案しようとするものである。
 第1章はDV−Xα法について述べた。本書の目的に最小限度必要な記述なので、もしもっと詳しく知りたい読者は「量子材料化学入門」を参照されたい。第2章では元素の性質を原子および2原子分子の電子状態から考察している。第3章では簡単な金属クラスターの電子状態について述べた。特に遷移金属については近接原子間の化学結合性が電子構造を左右する。化学結合性は主としてd原子軌道間の相互作用によってきまり、これによって元素による電子構造の変化が理解できる。またそのため局所的な構造の違いが電子構造に大きく影響することも理解できる。さらにスピン分極による磁気モーメントの発生と原子スピン間の磁気的な相互作用を分子軌道の立場で理解できること、また重元素で重要になる相対論的効果について述べた。この章では金属の電子的性質を簡単な金属クラスターの電子状態を通して観察しているが、これが金属材料の諸問題を考えていく上で、大変重要な基礎となるのである。第4章では金属中に固溶した原子の近傍の局所的電子状態について述べた。特に水素や炭素など遷移金属中の侵入型原子の電子状態と化学結合について、鉄やチタン金属中炭素や水素原子、チタン炭化物などの計算例を取り上げ詳しく記述した。ここで議論されている理論は、実際の金属材料を考えていく上で大変重要であり、第5章で述べる実用合金の設計理論の基礎となっている。
 第5章では金属クラスターの電子状態計算を用いて、実用合金の設計が行えることを述べた。DV-Xαクラスター計算から得られる、合金元素のエネルギーレベルと共有結合度をパラメータとすると、実用合金の材料特性が見事に予測でき、材料設計に大変有効であることを示した。この章では、耐熱の超合金(スーパーアロイ)、種々のチタン合金、高クロム・フェライト鋼、アルミニウム・マグネシウム合金、水素吸蔵合金などについて、第一原理の電子状態計算から、いかにして最高性能の実用合金が設計できるかを実例を挙げて説明した。ここでは実用的な問題を扱っているので、わかりやすくということで、前章までとは少々違った用語を用いている。たとえば原子間の共有結合の強さを表すオーバーラップ・ポプレーション(overlap population)を結合次数としているのでお断りしておく。
 量子力学による電子状態計算から直接得られる情報は、電子のエネルギー状態とその波動関数あるいは電子密度である。本書の第4章まではクラスター計算の結果を比較的常識的に考察した。第5章では合金設計を行う上で、計算結果をどの様に利用できるかという立場で書いた。しかしいずれの場合も、電子状態計算の結果をできだけ素直に観察し、そこからどの様なことが導き出せるかという観点から話を進めている。本書で取り上げている計算は実際の物質から見ると、非常に小さいおもちゃのようなモデルを用いている。近年コンピューターの性能がどんどんよくなり、また数値計算の技術が発達している。電子状態の計算でもそのスケールと精度がどんどん向上している。実際に現在では、本書で紹介した計算例よりも、もっと大きな系のもっと精度の良いクラスター計算を、学部の卒論生がしかもパソコン上で行えるようになっている。しかしいかに正確な第一原理による理論計算といえども、すべて大きな近似の上に成り立っているので、自然そのものを再現できないのは当然のことである。したがって計算結果を過信するのは大変危険である。しかしだからといってこれ以上のことは何もいえないと、勝手に限度を決めてしまう必要は全くない。物質中の電子は物質のあらゆる情報を含んでいるので、いかに簡単なモデル計算でも、一応合理的な電子状態の計算がなされておれば、そこから引き出せる情報は無限に近いと考えてよい。われわれの当面の問題を、どの様に設定して計算を行うかということと、無限の可能性を持つ計算結果から有用な情報をいかに引き出すかが、最も大切なことではないかと考える。このことを理解してもらうことが本書の目的の一つでもある。
 本書は著者らが行ったDV-Xα法によるクラスターモデルの計算結果のみを用いて記述している。したがって独断と偏見に満ちた大胆な議論も多いかもしれないが、全ての章を通して一貫した議論が展開できたと思っている。ここで紹介した計算結果は、多くの共同研究者によって得られたものであるが、金属材料の計算を始めた当初からずっと一緒に仕事し、議論してきた足立、森永、那須の3人で著作させていただいた。本書の企画と編集は三共出版の石山慎二、秀島功両氏のお世話になった。本当は4年前に企画していただいたので、ずっと前に出版していなければいけなかったであるが、執筆が大変遅れてしまった。両氏には感謝とともにお詫びも申し上げなければいけない。

                  平成9年1月 
                     足立裕彦、森永正彦、那須三郎



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